4月5日(日)
医者に「もういつ逝ってもおかしくない」という旨を告げられた。

4月6日(月)
22時36分
大好きな父さんが死んだ。


無題35 +病院近くの桜
無題35 +病院近くの桜
3月30日(月) 晴れ

主治医IDさんと内科病棟の担当医師NIさん、
あと母さんと俺で話す機会を作ってもらった。
個室を借りてその4人皆が集まった。

CT画像で父さんの肝臓を見せてもらった。
1月と3月のを比べるとガンだらけになっているのが分かる。
兄からは「2/3がガンになっちゃってた」という話だったが、
俺からすれば全部ガンだった。

余命の話も改めてしてもらった。
今の状態の話を医者の口から丁寧にしてもらった。
そして俺もリクエストを出してみた。

   今回、父さんは去年の暮れからこちらへお世話になっています。
   入院したその日から3日も経たないうちに、
   お医者さんから2度も「このままでは死にます」と告知されました。
   でも頑張って回復していきました。
   12月に入って「このままでは年を越せないかも…」と言われました。
   でも外泊が叶い正月を実家で迎える事が出来ました。
   秋から冬を越し、そして今やっと父さんは春を迎える事が出来ました。
   もう充分頑張っているんだと思います。
   先生から父さんの余命を伺いました。
   これ以上の無理を父さんに望んじゃいけない、と家族で決めました。

   それでも私は疑って自分なりに本を読み漁って調べてみました。
   父さんのせん妄の具合とか食事量から考えたら、妙な納得感がありました。
   今日の父さんは特に便意や腹痛を訴えてました。
   もう腹水がたまってるのかな、とか思ったりしてます。
   でも食事が極少量ですが摂れているので本当に便意かも・・・とか。

   奇跡は誰にだって訪れるんだって、そういう希望は忘れていません。
   そう心に置くのは単なる自分への慰めです。
   現実的に見て奇跡は滅多に起きない事は分かってます。
   
   でもというか、だからというか。
   私は父さんにご褒美を上げたいんです。
   2度も3度も『死』を宣告されて乗り越え、
   難病にも耐えて、
   秋から冬。そして春までたどり着いた父さんにご褒美をあげたんです。

   父がずっと拘ったのは家です、家族です。
   マイホームという夢を抱える父の年代。
   もし可能ならば、父が夢見てまで手に入れた一国一城で逝かせてやりたい。
   父も本望だと思います。
   でもそんなタイミングは誰にも計れないとも分かっています。

   だからもう1度だけでも外泊できないでしょうか。
   無理なら日帰りでも良いんです。
   1時間でも2時間でも良いんです。

   せめて。
   春を迎えられた父のその目に花を見せてやりたいんです。
   花1輪、花びら1枚を見せてやるのはとても難しいですか?
   もう・・・・・父には・・・・次の春は来ないんです・・・・
   ・・・・夏も来ないんです・・・・
   

泣いてそれ以上話せなくなってしまった。
今回の件で人前で完全に泣いたのはこの時が初めてだった。

ただただ父さんに折角の春を感じさせてやりたい。
そういう気持ちで先生方に懇願した。
今の病室は外も見えない通路側なんだ。
カーテンと天井だけを見つめてる。
ぼんやりと。
青い空を見せてやりたい。
桃色の桜を見せてやりたい。
まだ寒いかもしれないけど春の風を父さんにいっぱい浴びて欲しいんだ。
身体の具合は良くならんよそんな事では。
でも一瞬でも気持ちは良くなるんだきっと。

医者からの話は現実的だった。

自宅で逝かせる事は難しい、と。
変死扱いになって、死後に解剖にまわされる事になるらしい。
「これが日本の医療の現実です」
ID先生は悲しそうな表情だったけど強く言った。
いくら患者の病状や死因が確定しているものでも、
院外で死亡した場合そういうことになるらしい。
「解剖と言う理由でお父さんを傷付けられたくないでしょう。
 頑張りきったお父さんに傷をつけたくない気持ちは我々も同じです」
ID先生には長く親身にお世話になっている。
だからその言葉を素直に受け取れてしまった。

更に。
点滴を刺したまま病院外へ出ることは
医療行為の継続なのでルール的にNG。
ただ口からのカロリー摂取ができれば
点滴を一時的に外しても数時間なら可能かもしれない、と希望を貰った。
「なるだけ希望に添えるようにやってみる」と。

「お子さんは良く調べられている。
  わかってる分だけお辛いでしょう。
  ご家族として当然の希望、ご自身で調べて知った現実。
  その狭間で揺れるのは本当に辛いと思います。
  我々は患者さんとご家族の希望に沿えるよう頑張りますから。」

ID先生はいつも優しい。

   色々無理言ってるのはわかってるんです。
   理想論言ってるのも分かってるんです。
   でも、言わなきゃ始まんないから
   言えない父さんに代わって言わなくちゃと思って。。。
   なんかごめんなさい。


3月31日(火) 晴れ

嫁さんと一緒に病院へ。
休みなんだから家で体休めなよ、と言ったんだけど一緒に来てくれた。
「なんで週に1回しか会えんの?ええやんか。」
実に頭が下がる。
それも失礼な考え方なんだろう。

嫁さんにお願いして温かな食べ物を作ってもらった。
薄味に調整した刻みワカメのお味噌汁。
小さいワカメを更に小さくして、良く煮込んでとろっとろにしてくれた。
俺は父さんのリクエストに答えてイチゴを切った。
今日はお土産がいっぱいだ。
父さんはきっと喜ぶに違いない。

嫁さんを連れて行くときは電車で十条駅から歩く。
10数分掛かるちょっとした距離。
俺は歩くのがすこぶる遅いが嫁に手を引かれて歩く歩く歩く。

14:30

病室。
母さんが父さんに被さるように何かをしようとしていた。

「お父さん、身体の向きを変えたいんだって。」
すぐに掛けより俺が代わった。

   無理しちゃダメだよ。
   こういう時はナースコールで看護師さん呼ばなきゃ。
   ぎっくり腰にでもなったら隣で寝ることになっちゃうんだからさw

母さんの中でなんとか“してあげたい”という愛情なんだと思った。
誰かにもう任せたくない。
自分が父さんに何かをしてあげたいという気持ちは俺と同じなんだよね。

嫁さんと一緒に父さんの体位変換を試みた。
流石に本職はこういう時に心強い。
俺に的確に指示してひょいとやってのけた。

父さんのせん妄は日々深くなっていってた。
少し眠ると言うので俺たちは席を外した。

3人で喫煙所へ。
母から聞いた話では隣の患者さんと上手く行ってないようだ。
隣の患者さんは結構ストレスがたまってるらしく最近ナイーブらしい。
話し声には気をつけよう。

母も疲れているようだったので夕方前に家へ帰した。
嫁と俺で夕飯までいた。

18:00

嫁さんが作ってくれたワカメのお味噌汁を一生懸命食べてくれたけど。。。
小さなおはぎで半分くらいの量しか食べられなかった父さんの食事量。
それが更に半分くらいになってしまった。

3ヶ月ぶりに会った先週のあの日。
伊豆で買ったタケノコの穂先を京風のお吸い物にして持って行ってあげた。

   嫁さんが作ってくれたんだよ。
   美味しいでしょ。

全部飲んでくれてた。
でもやっぱり一生懸命だったんだ。
俺の無茶なお願いに答えてくれようとしてたんだ。
今はもう食べる事もままならない。
自分の無力さ加減にうんざりした。

18:30

「・・・もう寝るから、・・・帰って良いよ・・・・」
父さんはかすれるような小さな声で言った。
睡眠導入剤と痛み止めを飲みたいというので飲ませた。

帰り際に何の気なしに父さんに軽く被さり抱きついた。
20数年ぶりだった。
冷たかった。
昔から汗っかきであつい身体だった父さんは冷たかった。
嫌だった。
嫁さんも父さんの手を握ってくれた。
「冷たい手だねぇ、大丈夫かい?折角の休みだったろうに今日はありがとうね」
途切れ途切れに一生懸命話し掛けてくれた。

   また明日ね。ちゃんと寝るんだよ。
   おやすみー!

帰りの駅までの道。
嫁さんは「私のことを気遣ってくれた。私よりも冷たい手やのに・・・」
そういって泣いていた。
うん。そういう父さんなんだ。

病院。

土曜日は親戚がチラホラ現れたりして案外忙しかった。
父さんも疲れたのか夕方には小休止。
親戚のおじさんも膀胱ガンが発覚したらしい。
近いうちに北海道いくと決めた。
兄からは反対されたがコイツは相変わらずわかっちゃいない。

父さんが「モモの缶詰が食べたい」と言うので1口大に切って持っていった。
あまり食事をとらない父さんにとってはせめてもの栄養補給。
意欲的に食事をとる姿は嬉しかった。

手元がおぼつかないのでリハビリがてら色々とやってみた。
まだ3日程度だが目に見えて動きがいい。

体位変換を多く望むようになってきた。
何かに意欲があるっていい。
それだけで嬉しい。

夜、家に帰ってから嫁さんがガンに関する専門書を見せてくれた。
始めは強い気持ちで読んでいたけどさ…。
『Palliative Prognostic Index』やら『Palliative Performance Scale』で見ると医者のいう“予想”は間違ってないっぽい。
ますますショック。
うーんうーん。

色々考えてしまう夜。

今はお昼。
今日もこれから行ってくる。
今日は医者と話をさせてもらう事になってる。
外泊について強く要望してくる。
無茶苦茶なのはわかってる。
でも父さんがこだわったのは“家”だから。
色んな事が色んな側面で正しい。
でも最後は患者だ。

読み返すといつもの日記より訳わかんないことになってる。
支離滅裂。
はぁ…。
3月25日 雨・寒い

お昼前。
外は雨が降っていた。
少し前まで暖かな春の陽気だったのに寒い。
俺はレインコートを着てスクーターにまたがり帝京病院へ向かった。

道中色んな事を考えていた。
『・・・もう骨と皮しかないんだよ・・・』
母さんの言葉が耳に残っていた。
母さんの言う事だ大袈裟に表現しているに決まっている、という淡い期待。
文字通りそのままなのかもしれない、という強烈な不安。
車に煽られ現実に戻る。
気持ちが飛んでしまうくらい動揺している自分に今更気がついた。

帝京病院に着いた。
いつもの場所にいつも通りスクーターを停めた。
俺はまた戻って来たんだ戻って来れたんだ、という事実が凄く嬉しかった。
身体が震えた。
少し寒かったけど。

昨日母から聞いた大体の情報で俺は父さんの病室を探す。
ああ多分その角の部屋かもしれない。
部屋の入り口右側にある患者の名前のプレート。
父さんの名前を見つけた。
プレートの位置でベッドの位置もわかった。
俺はその方向に向かって病室に入っていった。

『父さんね、カーテンが揺れるたびにお前が来たんじゃないかって・・・』
忘れる事が出来ないそのフレーズ。
父さんが悲しそうにカーテンを見つめ、
一憂一憂の日々を繰り返しているそんな様子を想像していた。
気が狂いそうなほど申し訳なかった。
結婚して幸せに暮らしている自分自身と、
日々乾いた思いで病院にいる父さん。
そのコントラストを憎く思えた事もあった。
でもやっと。。。

12:30

カーテンが開いていた。
俺は声を掛けた。

   ようっ!来たよ。

ベッドの背は上がっていて上半身は起きていた。
前にはテーブルが置かれ昼食の途中だった。

目の前にいるのが・・・・・・父さん?
それが正直な第一印象。
やせていた。
本当に尽くしていた。
『骨と皮しか無い』という表現は的確だった。
去年末の父さんはもう居なかった。
“彼”を見て、瞬間的に“父さん”と認識できなかった自分がショックだった。
悟られまいと俺は出来る限りの元気な声を掛けた。
用意はしていなかったけど、俺は自然と言葉が出た。
でもきっと俺の顔は動揺していたに違いない。

父さんは細い細い腕で力無くスプーンを握り、
お粥を食べていた。
たった1人で。看護師さんの食事介助も無く。

なんだよクソッ!俺の父さんはもう1人でメシも食えないじゃないか!

父さんは手を止めて、呆然と俺の方を見ていた。
言葉も無く俺の方を見つめていたけど、
やがてクチを動かし何かを言おうとしていた。
俺はそばに走り寄った。
「・・・・来て・・・くれたのか・・・・ありがとう・・・・」
凄く小さく細い声で搾り出すように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

涙が溢れた。寸前のところで一生懸命我慢した。
もう声も満足に出せない父さん。。。
辛かった。
渾身の笑顔で俺は父さんに言った。

  父さんがメシ食わねーんだ、って母さんから聞いたんだ。
  もう我慢するの止めたんだ。
  心配だから来たんだよ。
  俺はまた来たいから来たんだ。
  父さんに会いたいから来たんだ。
  あ!この3ヶ月間は『来たく無いから来なかった』んじゃないよ。
  まぁ、そんな事はわかってるよね。父さんだし。
  あははw

俺の言葉が止まらなかった。

  カーテン・・・閉まってなかったけどさ。
  カーテンが揺れなくたって、開いてたって俺は来るんだよ。
  聞いたよ。
  カーテン閉めてやり直そうか?w
  あははw
  ・・・・ずっと待っててくれたんだってね。

「・・・カーテンを・・・ずっと・・・見てた・・・お前が・・・・」
父さんは涙ぐんでいた。
本当に待っててくれたんだ。
何も出来ない父さんだと思ってた。
でも、待っててくれたんだ。
何もしてないわけじゃなかった。
父さんは一生懸命待ってたんだ。

  うん。うん。知ってるよ。聞いてたよ。母さん言ってた。
  だからさ、待っててくれたからさ、もう俺も我慢できないからさ・・・。
  ずっと来たかったよ。
  もうね、ずっと来るって決めたんだ。
  また毎日来るよ。
  だから父さんは待たなくていいよ。
  心配しなくていいよ。

待たせてごめんとは言わなかった。
なんか、明るく振舞っていたかったから。
ガンとかそういう状況とは別で。
言わなくても父さんは俺の気持ちをわかってくれている。
だって父さんだもん。
父さんを泣かせまいと話題を変えた。

  ほら、食べようよ。
  お粥さめちゃうよ。
  もう要らないの?
  今日、どれくらい食べれたの?

「・・・4クチぐらい・・・もうイイ・・・・」

  全然食べて無いじゃんw
  要らないの?
  無理しなくてもいいけどさ・・・・。

お粥4クチじゃ誰でもやせるわ。
甘いビスケット1枚でももう少しカロリーあるって。
しかしまだその時の俺は2つの事を知らなかった訳で。
「もう要らない」
父さんは看護師さんに昼食を下げてもらった。
家から持って来たスポンジでスプーンを洗ってあげて
ベッドの傍らで一息ついた。

   タオルで顔拭く?
   また持って来たんだよ。
   
うなづく父さん。
俺は近くの流しへ向かった。
以前と同じようにお湯だけをひねった。
極アツのお湯で一生懸命タオルを絞った。
身体中の産毛がザワワと逆立つように熱いが同時に嬉しさもあった。
こんな事しかできない俺の小さな満足感。

絞ってきたタオルを父さんに渡し熱さを確認してもらう。
力無く手元がおぼつかない父さん。

   熱いよ。大丈夫かな?
   拭いてあげるよ。

父さんの額と目を覆うように暫くの間軽く押し当てる。
頬の少ない肉が緩む。
「ふぅ」
声がもれるほど気持ちいいようだ。
程よい空調、熱くも冷たくも無いメシ。
今の父さんにとって温度は大事な変化の1つなんだ。
タオルがヌルくなると俺は何度も往復した。
首の裏、顎、と温めていった。
口元と鼻もあたためようと思った。

   ねえ、鼻と口は危ないなら父さんタオル押さえられる?
   ウッカリ死んじゃったら怖いしw

『死』というキーワードが嫌だったけど、普通にある会話だ。うん。
普通だろ。自然だ自然。
おもむろに父さんは手を伸ばしタオルを持った。
いつか幼い日に銭湯通いしてた頃の父さんが居たような気がした。
気持ちよさそうに顔を拭く父さん。
生き生きとしていた。

若干の寒さを訴えていたので足も拭いてあげることにした。
ゆっくりと温めてあげた。
足の指の1本1本、足の指の間も丁寧に拭いてあげた。

起こしていたベッドの背を倒してあげた。
俺は母さんの言葉を思い出した。
「父さんはね、布団の掛け方が良くないってグチるの。
  お前がやってた布団の掛け方がいいみたいね。
  やっぱりクチに出してお前の掛け方がよかったとまでは言わないけど。
  お前の名前出すの我慢してるんだよ多分。
  母さんに気を使ってるのかな。
  母さんね、どういう具合が父さんにいいのかわかんなくって。」
そうだ!気合を入れて布団を掛け直してやろう、と思いたった。

布団に関してはちょっと自信があった。
アシスタント時代に他社のディスプレーで名指して依頼があった事も。
俺の中ではちょっとした自慢で、極々一部で有名になったこともあった。
ええ、すげー余談ですよ。

まず首側を中心にして布団とシーツを整える。
綿が足元に寄るのである程度均等に整える。
でも身体の軸(縦方向の中心)は若干綿を減らして両サイドに動かす。
※全部均一に整えると寝てる人は布団を重く硬く感じるし、
 身体の中心部から左右に空間が開いて冷たい風が入る事もあるから。
 また中心が軽ければ体位変換の際にも身体を動かしやすく都合がいい。
 仰向けに寝ていても布団を軽く感じられ、手の自由を得られるんだ。
布団を掛ける。
首元の位置を中心にし上半身からゆっくり布団を掛けてあげる。
この時、足が出てないかどうか確認。※病院の布団小さいんだよね。
両サイドのベッド柵の内側に軽く布団を差し込む。
この時、身体に対して布団がコの字型になる。
首元と足元から手を入れる。
布団の中から上へと手の平で軽く突き上げてふっくらとさせてやる。
ドームを作る感覚で。
布団が沈むけれどこれがふわっとした感覚になる。
襟元のシーツのシワを無くして寝てる人の視界を綺麗に。
肩口の浮きを軽く手で押さえて出来上がり。

おお。素晴らしいぜ。完璧だ。
父さんは満足げな表情をしていた。
ふっふっふ。昔とった杵柄とはこの事だな。
師匠に今度お礼の電話をしよう。

14:00

父さんの声は小さいけれど、耳はしっかりしていた。
疲れないようにと、ちょっとずつ話しをした。
この前、プチ新婚旅行に行った事。
暴風雨で大変だった伊豆シャボテン公園の話をしたり、
色々撮った写真を見せたりした。
シャボテン公園は父さんたちも若い頃に2人で行ったらしい。
なんか嬉しかった。

足の具合はほぼ回復したようだ。
包帯しているので様子はわからないけれど、
足の処置は3日に1度くらいと言っていた。
きっとそれくらい凄く回復しているんだ、と思うことにした。
痛みは無いらしい。
その代わり、背が少し痛むと言った。
きっと長い時間身体を同じ向きにしているから。
きっと、きっとそうだよね。うん。
近くの看護師さんに手伝ってもらって体位を変えた。
腎ろうが曲がってしまうので左を下に向けてもらった。
どう?と父さんに聞くと
「ラクだよ」
うんうん。良かった良かった。

父さんが俺に背を向ける形になったので、
痛む所を擦ってあげた。
これがイイらしい。
もっと上?下?右?左?
周辺を擦ったりググゥーっと指圧したり。
うつろうつろ眠そうにまぶたを閉じようとする父さん。

   寝るかい?
   いいよ。寝ていいよ。

「・・・タバコ・・・吸ってこい・・・・」
小さな声で俺に気を使う父さん。

   ここにコート置いとくからね。

このまま帰ったりしないよ、とメッセージを込めた。
変な心配をさせまいと思ったから。
1時間ほど席を外すと伝え病室を離れた。

なんぼデカイ病院でも暇は潰れなかった。
外は寒かった。コート置いてきたのは失敗だった。
屋外にある喫煙所。
タバコを2本吸った。
仕方ないので病院内をウロウロ。
今後は本でも用意して読もう。

16:00

病室に戻った。
母さんが父さんの背を擦っていた。

   よう。久しぶり。

兄側との口裏合わせで、俺は兄とも母さんとも3ヶ月間会ってなかった体(テイ)だ。
めんどくせーな、と思う気持ちは蹴り飛ばした。
「あら久しぶり。来てくれたの。」
白々しい芝居が嫌だった。

父さんはもう目覚めていた。
きっと俺と母さんは入れ違いだったのかもしれない。

   寝られなかった?

父さんに尋ねるとやっぱ寝てないっぽかった。

   母さんは間が悪いなぁw
   そうだ。この前伊豆にプチ新婚旅行行ったんだ。
   父さんに聞いたけど2人とも行ったんだってね。
   俺が子供の頃の話なの?
   全然覚えてないけどさ。

昨日と同じ話を母さんに再びしなくちゃいけない面倒臭さ。
俺も実に白々しい。
俺ら兄弟が生まれる前の話で、
父さんと母さんが伊豆に行ったのは若い頃の話のようだ。
一応写真を母さんにも見せた。
「ほらお父さん、ここ行ったねえ。風強くってね。」
母さんはつり橋の写真を見ていた。
母さんは父さんにも写真を見せて懐かしがっていた。
「やっぱり風強かったでしょ?」

   強いなんてもんじゃないよ。
   その日は暴風雨で風速10m越えてたんだ。
   傘させなかったし。
   まあ結局、シャボテン公園でうっかり傘ぶっ壊れちゃったけどさ。
   防水スプレーしたばっかりだったのに。。。

そんなこんな話をしてた(雑だな、おい)

17:00

母さんと2人で父さんの足をマッサージしてた。
うつろうつろしだす父さん。

   6時に夕飯だろ。
   それまで寝てなよ。

そういうとすぐに寝入ってしまった。
父さんはすっかり安心しているんだろう。
イビキをかいて寝ていた。

廊下がガチャガチャとうるさくなってきた。
夕飯が来たようだ。

18:00

父さんを起こす。
家から魔法瓶で持ってきた玄米茶をコップに注いだ。

   かいでみなよ匂い。

「うん・・・いい香りだ。」

   でしょ!いい香りでしょ!
   ずっとペットボトルばっかりだったんでしょ。
   また持ってきたんだよ。

手元がおぼつかないのでコップをフォローして飲ませてあげた。
ゴクゴクと飲む父さん。
よし、胃を起こすんだ。

運ばれてきた夕飯の介助を買って出た。
嫁さんに教えてもらって練習もしたんだ。
「あれもこれも食べさせちゃうと吐いちゃうから・・・」

   心配する気持ちはわかるけどねぇ。
   食わなきゃ体力つかないよ。

お粥におかずを少しづつ混ぜて食べさせた。
スプーンに半分くらい取って父さんの口に運んだ。
回数を重ねていっぱい食べられるイメージと自信を与えたかった。
父さんも協力的に食べてくれた。
いつも4クチ程度の食事を4倍以上食べてくれた。
でもトータルでみたら充分とは言えない量。
それでも満足だった。これから徐々に胃を慣らしていけばいい。
いきなりじゃ胃もびっくりするだろうし。

   結構食べれたじゃん!
   良かったw
   今日だけ食べるんじゃなくて続けていこうね。
   んで、体力つけよう。
   食べなきゃ始まんないよ!
   俺も頑張るからさ!

父さんは力強くうなづいてくれた。

18:30

雨だし久々のスクーターだし
ちょっと早めに帰る事にした。
正直久々のスクーターで雨とか夜とか怖かったから。

   また明日も来るよ。
   これからずーっと来るからよ。
   父さんはもう心配しなくていいからさ。

「ありがとう・・・ありがとう・・・」
小さい声で、消えそうな声で。
すげー切なかった。
でも目をじっと合わせてくる。
何かを乞うように。探るように。

俺はいつも通り振舞うという決めた。
だからいつも通りさらっと帰った。

余命1ヶ月は短い。短すぎる。
考える時間がない。
躊躇する間がない。
それでも足りない脳味噌で熟慮を重ね一瞬を大事にするしかない。
一瞬でも父さんを喜ばせよう。
その喜びを幾度も重ねられるようになれば、
父さんの充実に繋がると思うんだ。
22日~23日にかけてプチ新婚旅行に行ってきた。
伊豆の熱川~下田周辺を1泊。
色々あったけど、また今度の話に(ぇ

昨日と言うか今日というか微妙な時間の今は25日の0:46。
俺は進行形でまだパニくっている。

24日の20:00。
旅行で買い込んで来た竹の子を俺は下茹でしたり、
嫁はたらの芽の天ぷらの仕込みをしていた。
そんな時、家電がなった。
手が空いていたので出てみると母からだった。

電話の向こうで泣いていた母。
中々話が始まらない。
最悪な予感がしたが外れた。
というか・・・かすってしまった。

「お父さんね、余命が1ヶ月なんだって。
  これからそっち行って話してもいい?」
嫌も応も。。。

20:40
インターフォンが鳴った。
扉を開けると母と兄がいた。

「上がっていい?」
いいよ入って。俺はそう言うと兄まで家に入ろうとした。

兄貴はそこで待て。家に入ることは許さんよ。
「いいから入っちゃいなさい」と俺を無視して母は兄を急かせる。半ばドサクサだ。

ここは俺の家だ。勝手に入ることは許さない。
そこで待ってろ。

俺は兄を止めた。
俺は兄を許してはいない。
でも兄に対して怒りは無くむしろホッとしていた。
やっと来やがったな、と。
母だけを和室に通し、座卓を挟んで話を聞いた。

母は下を向いて泣きながら言葉を搾り出した。
「お父さんね、CT検査で肝臓の2/3がガンに冒されているんだって。
  膀胱の方にもまだあるかもしれない。
  手術に耐える体力ももう無いかもしれないんだって・・・
  もう1ヶ月も・・・・だって・・・」
どうにもならないという状況が母を絶望させていた。
丸くうずくまって泣く母。
その姿は本当に父さんの事が好きなんだと俺に思わせた。

「・・・だからね、母さんお前に仲直りして欲しいの。
  お兄ちゃんと仲直りして欲しいのよ・・・
  まだお父さん話せるの。骨と皮しかないほどやせちゃったの。
  お前が見たら驚くかもしれないよ。
  だからお父さんの前で仲の良い所を見せてあげて欲しいの。
  私も悪かったの。何にも出来ない母親でごめんね。
  でもお願い!お願い!」
母は俺の隣まで来て、土下座して懇願した。
俺と兄は仲が悪かった。つい去年末の出来事以来、修復は無かった。
俺の頭の片隅には今更・・・という思いもあった。

ケツに火がついた頃に誤りに来るんだろう、と予想していた。
まさにその通りになった。
誰にでもできる簡単な予想というか。
そんな事も予測できず3ヶ月も俺達を放置した母と兄。
それだけに2人が惨めで哀れだった。
俺はすっかり閉口してしまった。

黙っていた俺。
母は俺の言葉を引き出すように続けた。
「お兄ちゃんも謝るつもりで来たのよ。だから話を聞いてあげて。
  部屋に入れてあげていいでしょ!お願い!」

俺が予想したこの日は、全てを突っぱねて受け入れない姿勢を崩さない自分だった。
でも無理そうだ。
俺は父さんをこれ以上待たせられないし、
俺自身これ以上待つことが出来ないし、
そこまで強く頑なな心を俺は持ち合わせていないようだった。

じゃあ、ちょっと待っててくれ。
兄貴と外で話してくる、と言い俺は立ち上がろうとした。
すると母は俺を止めた。
どうやら、俺達が殴り合いをすると勘違いしているらしい。
始めは兄貴を数発殴ってやろうとも思ってた訳で、
母の全くの勘違いって訳でもないけど。
嫁に母を任せ、俺は玄関を出た。
すると兄はそこに立ち尽くしていた。

ちょっとツラ貸せや。
そう言って兄貴を近くにある公園まで連れて行った。
公園の中ほどまで行って、俺はやっと振り返り兄貴と対峙した。

言いたい事あるなら言え。
兄貴を促した。

「今回は本当に・・・・」
言いながらおもむろに土下座をしようとする兄貴。
しかしそうはさせない。

ちょっと待て。土下座とかそういう用意した事は要らないんだよ。
俺はな、そういう事前に頭で考えたような取り繕った謝罪は要らないんだよ。
と俺は吐き捨てた。

「・・・・・」
キョトンとしてしまう馬鹿兄貴。
ああ・・・わかってないんだな。謝ったこと無いのかなと俺は不安になった。
俺は話始めた。

なんで今なんだ?
あの夜、俺は期待していた。
席を立って帰る俺達を兄貴は追いかけてくるんじゃないかなって。
でも、兄貴は1人で酔っ払っていたし無理なのかな、とも思ったよ。
だから家に帰ってから謝りの電話が来るんじゃないかなって、ずっと待ってたよ。
でも、それでも連絡は来なかった。
寝潰れちゃったかな、って思うようにした。
だから次の日には電話来るだろうと最後まで待ったよ。
でも、連絡来なかったよね。

連絡くれたのいつさ?2日後じゃない。
何考えてるのさ。
電話着たの知ってたよ。
長いこと電話鳴らしてくれたね。
でも出なかったよ。
謝る気があるなら何度でも電話掛けてくると思ってたし。
もう1回掛かって来たね。
でも、出なかった。
そしたら、どうだい。もうそれっきりだよね。
もう時間が解決してくれるとか思ったの?
投げちゃったの?
それとも何にも考えてない馬鹿なの?

俺はこの3ヶ月間本当にしんどかった。
父さんの容態が気になってた。1日たりとも忘れた事は無かった。
本当に忘れなかった。
でも、ああ言われて行けると思うか?
俺が行かなくなるのは、お前の言い分を認める事に繋がるのかもしれない。
でもあえて行かなかった。
なぜかわかるか?
馬鹿に己の軽率さを認めさせて成長させる為だよ。

社会に出て浅い兄貴にはわからんかも知れないけど、
謝るってのには瞬発力が要るんだよ。
今この事は兄弟間のことだから損得ナシに許せるかもしれない。
でも、社会じゃそうはいかんよ。
その時その瞬間に謝ってしまえば大体のことは許される。
世の中の9割のことは許してくれるよ。
でもアンタはそれができなかった。

そして今日。
兄貴は用意した土下座と、ありきたりの謝罪の言葉で、
謝罪の形式を作ってるだけなんだよ。
そういうのを愚かっていうんだよ。
俺が欲しいのはそんなんじゃない。
もっと兄貴の中から瞬間的に発せられる謝罪を受けたいんだよ。
反省をする為の時間も与えた。
なのに、なんだ!その薄っぺらな形式ばったものは!

暫く押し黙った兄貴が話し出した。

「じゃあ2日後に掛けた電話で出なかったのに、3日後に掛けて出るんですか?
  “貴方”は私にどうしろというのですか?
  “貴方”は私の携帯からの着信を拒否しましたよね。
  そんな私に“貴方”はどうしろというのですか?」
実家から遠くに住んでるわけじゃない。
駅からだって歩いて来れるでしょココ。
緊急の電話の為に実家からの電話は着信できたよ。

自分の携帯以外から連絡を取ろう、是が非でも謝罪しないといけない、
という危機感を兄貴からは感じられなかった。
『時間があれば謝っとくか』的な怠惰なものだった。
兄貴から発せられた“貴方”という言葉に若干イラッとしたが、
まあ馬鹿だしいいかと放置。
そして兄貴に続けて言った。

今日は俺の所に何しにきたの?
あの日もそうだよ。
俺達の結婚を祝いに飲みに連れてってくれたんじゃないの?
兄貴が自分で企画して実行してくれたんでしょ。
なのに、なぜ呼びつけておいて嫌な気分にさせたの?
祝うんじゃなかったの?
今もそうだよ。
今日は誤りに来たんでしょ?
なのになぜ負かされまいと言い返すの?
場を考えようよ。
あの時から何も変わってないよ、その、場をわきまえてない感じがさ。
反省してないんでしょ?
言葉と態度を取り繕ってるだけで、何にも悪いと思ってないでしょ。

俺は一呼吸おいた。
そしてちょっと真剣に低い声で更に続けた。

こっちは嫁も込みでお前に否定されてんだ。
それをな、こんな愚かな形で許してやろうってんだ。
俺だけ否定されてんなら、兄貴をボッコボコにして手討ちにしてやればいい。
だがそうじゃないことに気がつけ、な。

「・・・もう許してくれなくてもいいからさ、
  父さんの前で仲直りしたように振舞ってくれないか。
  家族仲いい状況で父さんを送ってやりたいんだ。」
その気持ちはわかるけどさ、そんなんでいいの?
そんなに難しい事言ってる?

俺はもう呆れ返って面白くなっていた。
ここまでおバカさんとは思わなかったw
ついに父さん盾にして諦めやがったよ。
仕方ないので最後に言葉を掛けた。

俺は兄貴に少しだけ時間をやろう。いつまでとは言わない。
もうちょっと考えろ。
それで無理なら、もうお袋や兄貴と会うつもりは無い。
葬式も行くつもりは無いし、誰がどうなろうと知らないよ。
アンタみたいな馬鹿とは関わりたくないんだ。
とりあえず、話は合わせてやる。
俺はもう病院に行くことにする。
馬鹿に任せて置けない。
一応父さんの前では仲良くしててやる。

そう言うと、兄貴は呆然としてた。
嘘ってのはいつか必ずバレる。
話を合わせたって父さんにはバレる。
遅かれ早かれ。

ガンの告知は別の話で。
これはしないようだ。
父は元来あまり気持ちが強い方ではない。
それを知って向き合う気力はもう無いだろう。
賛成せざるを得ない。
まあ・・・マストな話だ。

俺達は公園を後にして家に帰った。
やはり兄貴を外で待たせた。
まだ馬鹿だからだ。

家で待ってた母に話した内容を色々と伝えた。
兄貴1人で考えなければいけない問題だから、
母さんは兄貴にあれやこれやと言わないで欲しい、と。

23:30
そして2人はやっと帰って行った。
この後、仕事の話が着たり、なんか色々とあった。
嫁には食事の準備をしてもらった。
天ぷらは中止。
クレソンとベーコンの炒め物でご飯を済ませた。

そして疲れてたけど、この日記にまとめ始めた。
 


無題28

2008年12月28日 俺と父の日々
無題28

無題26

2008年12月18日 俺と父の日々
雨やんで晴れた。
外メチャ寒い。
冬だねえ。



無題22

2008年12月15日 俺と父の日々
色々あったりします。

当の本人の、あまりに場当たり的で勝手な考えに思わずキ(ゲフンゲフン

なんていうか

もうそこまで面倒見れ

おっと、もうこんな時間だ

寝まーす



以下秘密にまとめ  <年内にやること>
特定疾病

特定疾病 がん(がん末期)(平成18年4月1日から)
関節リウマチ
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
後縦靭帯骨化症
骨折を伴う骨粗しょう症
初老期における認知症(アルツハイマー病、血管性認知症、レビー小体病等)
進行性核上性麻痺、大脳基底核変性症及びパーキンソン病
(パーキンソン病関連疾患)
脊髄小脳変性症
脊柱管狭窄症
早老症(ウェルナー症候群等)
多系統萎縮症
糖尿病性神経障害
糖尿病性腎症
糖尿病性網膜症
脳血管疾患(脳出血、脳梗塞等)
閉塞性動脈硬化症
慢性閉塞性肺疾患
両側の膝関節又は股関節に著しい変形を伴う変形性関節症

京都から帰ってまいりました。
紅葉のお残りを楽しんだよーな気もするがそんなもともなく。

向こうはメチャメチャ寒かったよ>_<

写真upしようと思ったら全部1s入ってたので断念しま(@@;
胃が痛いっす
※無題シリーズは休みます

今日は彼女が夜勤。
んで久々に、夕食は1人でラーメン屋。
緑茶ハイでグラグラになりつつ餃子をほおばる。

カリッ……ァッ!……ほふほふ……ジュワァー……もぐもぐ……
ゴクンゴクン……ホフッ……もぐもぐ……ふぅ……

ホントはメシ食ったらネットカフェ行くつもりだった。
でも帰って来ちゃった。
ははは・・・。

SGやりたいんだよ。
皆と何かを普通に話したかった。
もうさ、しんどくてw


・・・。


なんつーの?願掛け?
いや大した願掛けにならんわなぁ。
何だこの陳腐な願掛けw

明後日から一泊で京都へ行って来ます。
戦ってきますよ!
勝てる見込みは無いですがあえてノープランで。
こっちも負けて帰ってくるつもりはありません。
ええ。人生でここ一番だと思ってます。

二日目に鈴虫へ寄り道してきます。
新しいお守りを貰いに。
今のお守りは実家の母に預けてます。
明日回収せねば。
古いお守りはご苦労様して、
新しいお守りにまた宜しくと。

ご利益有ったと父と母は言ってました。
私もそう思ってます。

酔いも程よく書いてます。
今23時半。
今頃みんなRBやってんだろーなぁ・・・。
エエノゥ

貰う新PCは兄にマザボだけ取り替えてもらおうかと思ってたり。
SGするなら何でもいいよね?
メモリは増設言わなくてもしてくれるって信じてる。
年内は無理かな?どうかな?


あと何書こうかな。


最近、彼女の乳がデカくなったような。
気のせいか。


あんまねーわなぁ。書くことって。


ここ最近は日に1食しか食ってない。
「糖尿病の原因になるからやめろ」と彼女。
体内のインシュリンコントロールが狂うんだってよ。
インシュリンって体内で製造されるんかね?
俺知らないけど。
てっきりインシュリンって人工的な薬物だと思ってた。


もういいか。
今23時50分くらい。
じゃあね~。
京都へいくまで あと3日。
まったくノープランだ。
勝てる見込みがない。
さて困ったぞ。

イメクラ行って練習したい気分だ。

どうする俺!?
どうなる俺!?

                 つづく
ざっくり書いた。
消えると書き直すのダルい。

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