3月25日 雨・寒い
お昼前。
外は雨が降っていた。
少し前まで暖かな春の陽気だったのに寒い。
俺はレインコートを着てスクーターにまたがり帝京病院へ向かった。
道中色んな事を考えていた。
『・・・もう骨と皮しかないんだよ・・・』
母さんの言葉が耳に残っていた。
母さんの言う事だ大袈裟に表現しているに決まっている、という淡い期待。
文字通りそのままなのかもしれない、という強烈な不安。
車に煽られ現実に戻る。
気持ちが飛んでしまうくらい動揺している自分に今更気がついた。
帝京病院に着いた。
いつもの場所にいつも通りスクーターを停めた。
俺はまた戻って来たんだ戻って来れたんだ、という事実が凄く嬉しかった。
身体が震えた。
少し寒かったけど。
昨日母から聞いた大体の情報で俺は父さんの病室を探す。
ああ多分その角の部屋かもしれない。
部屋の入り口右側にある患者の名前のプレート。
父さんの名前を見つけた。
プレートの位置でベッドの位置もわかった。
俺はその方向に向かって病室に入っていった。
『父さんね、カーテンが揺れるたびにお前が来たんじゃないかって・・・』
忘れる事が出来ないそのフレーズ。
父さんが悲しそうにカーテンを見つめ、
一憂一憂の日々を繰り返しているそんな様子を想像していた。
気が狂いそうなほど申し訳なかった。
結婚して幸せに暮らしている自分自身と、
日々乾いた思いで病院にいる父さん。
そのコントラストを憎く思えた事もあった。
でもやっと。。。
12:30
カーテンが開いていた。
俺は声を掛けた。
ようっ!来たよ。
ベッドの背は上がっていて上半身は起きていた。
前にはテーブルが置かれ昼食の途中だった。
目の前にいるのが・・・・・・父さん?
それが正直な第一印象。
やせていた。
本当に尽くしていた。
『骨と皮しか無い』という表現は的確だった。
去年末の父さんはもう居なかった。
“彼”を見て、瞬間的に“父さん”と認識できなかった自分がショックだった。
悟られまいと俺は出来る限りの元気な声を掛けた。
用意はしていなかったけど、俺は自然と言葉が出た。
でもきっと俺の顔は動揺していたに違いない。
父さんは細い細い腕で力無くスプーンを握り、
お粥を食べていた。
たった1人で。看護師さんの食事介助も無く。
なんだよクソッ!俺の父さんはもう1人でメシも食えないじゃないか!
父さんは手を止めて、呆然と俺の方を見ていた。
言葉も無く俺の方を見つめていたけど、
やがてクチを動かし何かを言おうとしていた。
俺はそばに走り寄った。
「・・・・来て・・・くれたのか・・・・ありがとう・・・・」
凄く小さく細い声で搾り出すように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
涙が溢れた。寸前のところで一生懸命我慢した。
もう声も満足に出せない父さん。。。
辛かった。
渾身の笑顔で俺は父さんに言った。
父さんがメシ食わねーんだ、って母さんから聞いたんだ。
もう我慢するの止めたんだ。
心配だから来たんだよ。
俺はまた来たいから来たんだ。
父さんに会いたいから来たんだ。
あ!この3ヶ月間は『来たく無いから来なかった』んじゃないよ。
まぁ、そんな事はわかってるよね。父さんだし。
あははw
俺の言葉が止まらなかった。
カーテン・・・閉まってなかったけどさ。
カーテンが揺れなくたって、開いてたって俺は来るんだよ。
聞いたよ。
カーテン閉めてやり直そうか?w
あははw
・・・・ずっと待っててくれたんだってね。
「・・・カーテンを・・・ずっと・・・見てた・・・お前が・・・・」
父さんは涙ぐんでいた。
本当に待っててくれたんだ。
何も出来ない父さんだと思ってた。
でも、待っててくれたんだ。
何もしてないわけじゃなかった。
父さんは一生懸命待ってたんだ。
うん。うん。知ってるよ。聞いてたよ。母さん言ってた。
だからさ、待っててくれたからさ、もう俺も我慢できないからさ・・・。
ずっと来たかったよ。
もうね、ずっと来るって決めたんだ。
また毎日来るよ。
だから父さんは待たなくていいよ。
心配しなくていいよ。
待たせてごめんとは言わなかった。
なんか、明るく振舞っていたかったから。
ガンとかそういう状況とは別で。
言わなくても父さんは俺の気持ちをわかってくれている。
だって父さんだもん。
父さんを泣かせまいと話題を変えた。
ほら、食べようよ。
お粥さめちゃうよ。
もう要らないの?
今日、どれくらい食べれたの?
「・・・4クチぐらい・・・もうイイ・・・・」
全然食べて無いじゃんw
要らないの?
無理しなくてもいいけどさ・・・・。
お粥4クチじゃ誰でもやせるわ。
甘いビスケット1枚でももう少しカロリーあるって。
しかしまだその時の俺は2つの事を知らなかった訳で。
「もう要らない」
父さんは看護師さんに昼食を下げてもらった。
家から持って来たスポンジでスプーンを洗ってあげて
ベッドの傍らで一息ついた。
タオルで顔拭く?
また持って来たんだよ。
うなづく父さん。
俺は近くの流しへ向かった。
以前と同じようにお湯だけをひねった。
極アツのお湯で一生懸命タオルを絞った。
身体中の産毛がザワワと逆立つように熱いが同時に嬉しさもあった。
こんな事しかできない俺の小さな満足感。
絞ってきたタオルを父さんに渡し熱さを確認してもらう。
力無く手元がおぼつかない父さん。
熱いよ。大丈夫かな?
拭いてあげるよ。
父さんの額と目を覆うように暫くの間軽く押し当てる。
頬の少ない肉が緩む。
「ふぅ」
声がもれるほど気持ちいいようだ。
程よい空調、熱くも冷たくも無いメシ。
今の父さんにとって温度は大事な変化の1つなんだ。
タオルがヌルくなると俺は何度も往復した。
首の裏、顎、と温めていった。
口元と鼻もあたためようと思った。
ねえ、鼻と口は危ないなら父さんタオル押さえられる?
ウッカリ死んじゃったら怖いしw
『死』というキーワードが嫌だったけど、普通にある会話だ。うん。
普通だろ。自然だ自然。
おもむろに父さんは手を伸ばしタオルを持った。
いつか幼い日に銭湯通いしてた頃の父さんが居たような気がした。
気持ちよさそうに顔を拭く父さん。
生き生きとしていた。
若干の寒さを訴えていたので足も拭いてあげることにした。
ゆっくりと温めてあげた。
足の指の1本1本、足の指の間も丁寧に拭いてあげた。
起こしていたベッドの背を倒してあげた。
俺は母さんの言葉を思い出した。
「父さんはね、布団の掛け方が良くないってグチるの。
お前がやってた布団の掛け方がいいみたいね。
やっぱりクチに出してお前の掛け方がよかったとまでは言わないけど。
お前の名前出すの我慢してるんだよ多分。
母さんに気を使ってるのかな。
母さんね、どういう具合が父さんにいいのかわかんなくって。」
そうだ!気合を入れて布団を掛け直してやろう、と思いたった。
布団に関してはちょっと自信があった。
アシスタント時代に他社のディスプレーで名指して依頼があった事も。
俺の中ではちょっとした自慢で、極々一部で有名になったこともあった。
ええ、すげー余談ですよ。
まず首側を中心にして布団とシーツを整える。
綿が足元に寄るのである程度均等に整える。
でも身体の軸(縦方向の中心)は若干綿を減らして両サイドに動かす。
※全部均一に整えると寝てる人は布団を重く硬く感じるし、
身体の中心部から左右に空間が開いて冷たい風が入る事もあるから。
また中心が軽ければ体位変換の際にも身体を動かしやすく都合がいい。
仰向けに寝ていても布団を軽く感じられ、手の自由を得られるんだ。
布団を掛ける。
首元の位置を中心にし上半身からゆっくり布団を掛けてあげる。
この時、足が出てないかどうか確認。※病院の布団小さいんだよね。
両サイドのベッド柵の内側に軽く布団を差し込む。
この時、身体に対して布団がコの字型になる。
首元と足元から手を入れる。
布団の中から上へと手の平で軽く突き上げてふっくらとさせてやる。
ドームを作る感覚で。
布団が沈むけれどこれがふわっとした感覚になる。
襟元のシーツのシワを無くして寝てる人の視界を綺麗に。
肩口の浮きを軽く手で押さえて出来上がり。
おお。素晴らしいぜ。完璧だ。
父さんは満足げな表情をしていた。
ふっふっふ。昔とった杵柄とはこの事だな。
師匠に今度お礼の電話をしよう。
14:00
父さんの声は小さいけれど、耳はしっかりしていた。
疲れないようにと、ちょっとずつ話しをした。
この前、プチ新婚旅行に行った事。
暴風雨で大変だった伊豆シャボテン公園の話をしたり、
色々撮った写真を見せたりした。
シャボテン公園は父さんたちも若い頃に2人で行ったらしい。
なんか嬉しかった。
足の具合はほぼ回復したようだ。
包帯しているので様子はわからないけれど、
足の処置は3日に1度くらいと言っていた。
きっとそれくらい凄く回復しているんだ、と思うことにした。
痛みは無いらしい。
その代わり、背が少し痛むと言った。
きっと長い時間身体を同じ向きにしているから。
きっと、きっとそうだよね。うん。
近くの看護師さんに手伝ってもらって体位を変えた。
腎ろうが曲がってしまうので左を下に向けてもらった。
どう?と父さんに聞くと
「ラクだよ」
うんうん。良かった良かった。
父さんが俺に背を向ける形になったので、
痛む所を擦ってあげた。
これがイイらしい。
もっと上?下?右?左?
周辺を擦ったりググゥーっと指圧したり。
うつろうつろ眠そうにまぶたを閉じようとする父さん。
寝るかい?
いいよ。寝ていいよ。
「・・・タバコ・・・吸ってこい・・・・」
小さな声で俺に気を使う父さん。
ここにコート置いとくからね。
このまま帰ったりしないよ、とメッセージを込めた。
変な心配をさせまいと思ったから。
1時間ほど席を外すと伝え病室を離れた。
なんぼデカイ病院でも暇は潰れなかった。
外は寒かった。コート置いてきたのは失敗だった。
屋外にある喫煙所。
タバコを2本吸った。
仕方ないので病院内をウロウロ。
今後は本でも用意して読もう。
16:00
病室に戻った。
母さんが父さんの背を擦っていた。
よう。久しぶり。
兄側との口裏合わせで、俺は兄とも母さんとも3ヶ月間会ってなかった体(テイ)だ。
めんどくせーな、と思う気持ちは蹴り飛ばした。
「あら久しぶり。来てくれたの。」
白々しい芝居が嫌だった。
父さんはもう目覚めていた。
きっと俺と母さんは入れ違いだったのかもしれない。
寝られなかった?
父さんに尋ねるとやっぱ寝てないっぽかった。
母さんは間が悪いなぁw
そうだ。この前伊豆にプチ新婚旅行行ったんだ。
父さんに聞いたけど2人とも行ったんだってね。
俺が子供の頃の話なの?
全然覚えてないけどさ。
昨日と同じ話を母さんに再びしなくちゃいけない面倒臭さ。
俺も実に白々しい。
俺ら兄弟が生まれる前の話で、
父さんと母さんが伊豆に行ったのは若い頃の話のようだ。
一応写真を母さんにも見せた。
「ほらお父さん、ここ行ったねえ。風強くってね。」
母さんはつり橋の写真を見ていた。
母さんは父さんにも写真を見せて懐かしがっていた。
「やっぱり風強かったでしょ?」
強いなんてもんじゃないよ。
その日は暴風雨で風速10m越えてたんだ。
傘させなかったし。
まあ結局、シャボテン公園でうっかり傘ぶっ壊れちゃったけどさ。
防水スプレーしたばっかりだったのに。。。
そんなこんな話をしてた(雑だな、おい)
17:00
母さんと2人で父さんの足をマッサージしてた。
うつろうつろしだす父さん。
6時に夕飯だろ。
それまで寝てなよ。
そういうとすぐに寝入ってしまった。
父さんはすっかり安心しているんだろう。
イビキをかいて寝ていた。
廊下がガチャガチャとうるさくなってきた。
夕飯が来たようだ。
18:00
父さんを起こす。
家から魔法瓶で持ってきた玄米茶をコップに注いだ。
かいでみなよ匂い。
「うん・・・いい香りだ。」
でしょ!いい香りでしょ!
ずっとペットボトルばっかりだったんでしょ。
また持ってきたんだよ。
手元がおぼつかないのでコップをフォローして飲ませてあげた。
ゴクゴクと飲む父さん。
よし、胃を起こすんだ。
運ばれてきた夕飯の介助を買って出た。
嫁さんに教えてもらって練習もしたんだ。
「あれもこれも食べさせちゃうと吐いちゃうから・・・」
心配する気持ちはわかるけどねぇ。
食わなきゃ体力つかないよ。
お粥におかずを少しづつ混ぜて食べさせた。
スプーンに半分くらい取って父さんの口に運んだ。
回数を重ねていっぱい食べられるイメージと自信を与えたかった。
父さんも協力的に食べてくれた。
いつも4クチ程度の食事を4倍以上食べてくれた。
でもトータルでみたら充分とは言えない量。
それでも満足だった。これから徐々に胃を慣らしていけばいい。
いきなりじゃ胃もびっくりするだろうし。
結構食べれたじゃん!
良かったw
今日だけ食べるんじゃなくて続けていこうね。
んで、体力つけよう。
食べなきゃ始まんないよ!
俺も頑張るからさ!
父さんは力強くうなづいてくれた。
18:30
雨だし久々のスクーターだし
ちょっと早めに帰る事にした。
正直久々のスクーターで雨とか夜とか怖かったから。
また明日も来るよ。
これからずーっと来るからよ。
父さんはもう心配しなくていいからさ。
「ありがとう・・・ありがとう・・・」
小さい声で、消えそうな声で。
すげー切なかった。
でも目をじっと合わせてくる。
何かを乞うように。探るように。
俺はいつも通り振舞うという決めた。
だからいつも通りさらっと帰った。
余命1ヶ月は短い。短すぎる。
考える時間がない。
躊躇する間がない。
それでも足りない脳味噌で熟慮を重ね一瞬を大事にするしかない。
一瞬でも父さんを喜ばせよう。
その喜びを幾度も重ねられるようになれば、
父さんの充実に繋がると思うんだ。
お昼前。
外は雨が降っていた。
少し前まで暖かな春の陽気だったのに寒い。
俺はレインコートを着てスクーターにまたがり帝京病院へ向かった。
道中色んな事を考えていた。
『・・・もう骨と皮しかないんだよ・・・』
母さんの言葉が耳に残っていた。
母さんの言う事だ大袈裟に表現しているに決まっている、という淡い期待。
文字通りそのままなのかもしれない、という強烈な不安。
車に煽られ現実に戻る。
気持ちが飛んでしまうくらい動揺している自分に今更気がついた。
帝京病院に着いた。
いつもの場所にいつも通りスクーターを停めた。
俺はまた戻って来たんだ戻って来れたんだ、という事実が凄く嬉しかった。
身体が震えた。
少し寒かったけど。
昨日母から聞いた大体の情報で俺は父さんの病室を探す。
ああ多分その角の部屋かもしれない。
部屋の入り口右側にある患者の名前のプレート。
父さんの名前を見つけた。
プレートの位置でベッドの位置もわかった。
俺はその方向に向かって病室に入っていった。
『父さんね、カーテンが揺れるたびにお前が来たんじゃないかって・・・』
忘れる事が出来ないそのフレーズ。
父さんが悲しそうにカーテンを見つめ、
一憂一憂の日々を繰り返しているそんな様子を想像していた。
気が狂いそうなほど申し訳なかった。
結婚して幸せに暮らしている自分自身と、
日々乾いた思いで病院にいる父さん。
そのコントラストを憎く思えた事もあった。
でもやっと。。。
12:30
カーテンが開いていた。
俺は声を掛けた。
ようっ!来たよ。
ベッドの背は上がっていて上半身は起きていた。
前にはテーブルが置かれ昼食の途中だった。
目の前にいるのが・・・・・・父さん?
それが正直な第一印象。
やせていた。
本当に尽くしていた。
『骨と皮しか無い』という表現は的確だった。
去年末の父さんはもう居なかった。
“彼”を見て、瞬間的に“父さん”と認識できなかった自分がショックだった。
悟られまいと俺は出来る限りの元気な声を掛けた。
用意はしていなかったけど、俺は自然と言葉が出た。
でもきっと俺の顔は動揺していたに違いない。
父さんは細い細い腕で力無くスプーンを握り、
お粥を食べていた。
たった1人で。看護師さんの食事介助も無く。
なんだよクソッ!俺の父さんはもう1人でメシも食えないじゃないか!
父さんは手を止めて、呆然と俺の方を見ていた。
言葉も無く俺の方を見つめていたけど、
やがてクチを動かし何かを言おうとしていた。
俺はそばに走り寄った。
「・・・・来て・・・くれたのか・・・・ありがとう・・・・」
凄く小さく細い声で搾り出すように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
涙が溢れた。寸前のところで一生懸命我慢した。
もう声も満足に出せない父さん。。。
辛かった。
渾身の笑顔で俺は父さんに言った。
父さんがメシ食わねーんだ、って母さんから聞いたんだ。
もう我慢するの止めたんだ。
心配だから来たんだよ。
俺はまた来たいから来たんだ。
父さんに会いたいから来たんだ。
あ!この3ヶ月間は『来たく無いから来なかった』んじゃないよ。
まぁ、そんな事はわかってるよね。父さんだし。
あははw
俺の言葉が止まらなかった。
カーテン・・・閉まってなかったけどさ。
カーテンが揺れなくたって、開いてたって俺は来るんだよ。
聞いたよ。
カーテン閉めてやり直そうか?w
あははw
・・・・ずっと待っててくれたんだってね。
「・・・カーテンを・・・ずっと・・・見てた・・・お前が・・・・」
父さんは涙ぐんでいた。
本当に待っててくれたんだ。
何も出来ない父さんだと思ってた。
でも、待っててくれたんだ。
何もしてないわけじゃなかった。
父さんは一生懸命待ってたんだ。
うん。うん。知ってるよ。聞いてたよ。母さん言ってた。
だからさ、待っててくれたからさ、もう俺も我慢できないからさ・・・。
ずっと来たかったよ。
もうね、ずっと来るって決めたんだ。
また毎日来るよ。
だから父さんは待たなくていいよ。
心配しなくていいよ。
待たせてごめんとは言わなかった。
なんか、明るく振舞っていたかったから。
ガンとかそういう状況とは別で。
言わなくても父さんは俺の気持ちをわかってくれている。
だって父さんだもん。
父さんを泣かせまいと話題を変えた。
ほら、食べようよ。
お粥さめちゃうよ。
もう要らないの?
今日、どれくらい食べれたの?
「・・・4クチぐらい・・・もうイイ・・・・」
全然食べて無いじゃんw
要らないの?
無理しなくてもいいけどさ・・・・。
お粥4クチじゃ誰でもやせるわ。
甘いビスケット1枚でももう少しカロリーあるって。
しかしまだその時の俺は2つの事を知らなかった訳で。
「もう要らない」
父さんは看護師さんに昼食を下げてもらった。
家から持って来たスポンジでスプーンを洗ってあげて
ベッドの傍らで一息ついた。
タオルで顔拭く?
また持って来たんだよ。
うなづく父さん。
俺は近くの流しへ向かった。
以前と同じようにお湯だけをひねった。
極アツのお湯で一生懸命タオルを絞った。
身体中の産毛がザワワと逆立つように熱いが同時に嬉しさもあった。
こんな事しかできない俺の小さな満足感。
絞ってきたタオルを父さんに渡し熱さを確認してもらう。
力無く手元がおぼつかない父さん。
熱いよ。大丈夫かな?
拭いてあげるよ。
父さんの額と目を覆うように暫くの間軽く押し当てる。
頬の少ない肉が緩む。
「ふぅ」
声がもれるほど気持ちいいようだ。
程よい空調、熱くも冷たくも無いメシ。
今の父さんにとって温度は大事な変化の1つなんだ。
タオルがヌルくなると俺は何度も往復した。
首の裏、顎、と温めていった。
口元と鼻もあたためようと思った。
ねえ、鼻と口は危ないなら父さんタオル押さえられる?
ウッカリ死んじゃったら怖いしw
『死』というキーワードが嫌だったけど、普通にある会話だ。うん。
普通だろ。自然だ自然。
おもむろに父さんは手を伸ばしタオルを持った。
いつか幼い日に銭湯通いしてた頃の父さんが居たような気がした。
気持ちよさそうに顔を拭く父さん。
生き生きとしていた。
若干の寒さを訴えていたので足も拭いてあげることにした。
ゆっくりと温めてあげた。
足の指の1本1本、足の指の間も丁寧に拭いてあげた。
起こしていたベッドの背を倒してあげた。
俺は母さんの言葉を思い出した。
「父さんはね、布団の掛け方が良くないってグチるの。
お前がやってた布団の掛け方がいいみたいね。
やっぱりクチに出してお前の掛け方がよかったとまでは言わないけど。
お前の名前出すの我慢してるんだよ多分。
母さんに気を使ってるのかな。
母さんね、どういう具合が父さんにいいのかわかんなくって。」
そうだ!気合を入れて布団を掛け直してやろう、と思いたった。
布団に関してはちょっと自信があった。
アシスタント時代に他社のディスプレーで名指して依頼があった事も。
俺の中ではちょっとした自慢で、極々一部で有名になったこともあった。
ええ、すげー余談ですよ。
まず首側を中心にして布団とシーツを整える。
綿が足元に寄るのである程度均等に整える。
でも身体の軸(縦方向の中心)は若干綿を減らして両サイドに動かす。
※全部均一に整えると寝てる人は布団を重く硬く感じるし、
身体の中心部から左右に空間が開いて冷たい風が入る事もあるから。
また中心が軽ければ体位変換の際にも身体を動かしやすく都合がいい。
仰向けに寝ていても布団を軽く感じられ、手の自由を得られるんだ。
布団を掛ける。
首元の位置を中心にし上半身からゆっくり布団を掛けてあげる。
この時、足が出てないかどうか確認。※病院の布団小さいんだよね。
両サイドのベッド柵の内側に軽く布団を差し込む。
この時、身体に対して布団がコの字型になる。
首元と足元から手を入れる。
布団の中から上へと手の平で軽く突き上げてふっくらとさせてやる。
ドームを作る感覚で。
布団が沈むけれどこれがふわっとした感覚になる。
襟元のシーツのシワを無くして寝てる人の視界を綺麗に。
肩口の浮きを軽く手で押さえて出来上がり。
おお。素晴らしいぜ。完璧だ。
父さんは満足げな表情をしていた。
ふっふっふ。昔とった杵柄とはこの事だな。
師匠に今度お礼の電話をしよう。
14:00
父さんの声は小さいけれど、耳はしっかりしていた。
疲れないようにと、ちょっとずつ話しをした。
この前、プチ新婚旅行に行った事。
暴風雨で大変だった伊豆シャボテン公園の話をしたり、
色々撮った写真を見せたりした。
シャボテン公園は父さんたちも若い頃に2人で行ったらしい。
なんか嬉しかった。
足の具合はほぼ回復したようだ。
包帯しているので様子はわからないけれど、
足の処置は3日に1度くらいと言っていた。
きっとそれくらい凄く回復しているんだ、と思うことにした。
痛みは無いらしい。
その代わり、背が少し痛むと言った。
きっと長い時間身体を同じ向きにしているから。
きっと、きっとそうだよね。うん。
近くの看護師さんに手伝ってもらって体位を変えた。
腎ろうが曲がってしまうので左を下に向けてもらった。
どう?と父さんに聞くと
「ラクだよ」
うんうん。良かった良かった。
父さんが俺に背を向ける形になったので、
痛む所を擦ってあげた。
これがイイらしい。
もっと上?下?右?左?
周辺を擦ったりググゥーっと指圧したり。
うつろうつろ眠そうにまぶたを閉じようとする父さん。
寝るかい?
いいよ。寝ていいよ。
「・・・タバコ・・・吸ってこい・・・・」
小さな声で俺に気を使う父さん。
ここにコート置いとくからね。
このまま帰ったりしないよ、とメッセージを込めた。
変な心配をさせまいと思ったから。
1時間ほど席を外すと伝え病室を離れた。
なんぼデカイ病院でも暇は潰れなかった。
外は寒かった。コート置いてきたのは失敗だった。
屋外にある喫煙所。
タバコを2本吸った。
仕方ないので病院内をウロウロ。
今後は本でも用意して読もう。
16:00
病室に戻った。
母さんが父さんの背を擦っていた。
よう。久しぶり。
兄側との口裏合わせで、俺は兄とも母さんとも3ヶ月間会ってなかった体(テイ)だ。
めんどくせーな、と思う気持ちは蹴り飛ばした。
「あら久しぶり。来てくれたの。」
白々しい芝居が嫌だった。
父さんはもう目覚めていた。
きっと俺と母さんは入れ違いだったのかもしれない。
寝られなかった?
父さんに尋ねるとやっぱ寝てないっぽかった。
母さんは間が悪いなぁw
そうだ。この前伊豆にプチ新婚旅行行ったんだ。
父さんに聞いたけど2人とも行ったんだってね。
俺が子供の頃の話なの?
全然覚えてないけどさ。
昨日と同じ話を母さんに再びしなくちゃいけない面倒臭さ。
俺も実に白々しい。
俺ら兄弟が生まれる前の話で、
父さんと母さんが伊豆に行ったのは若い頃の話のようだ。
一応写真を母さんにも見せた。
「ほらお父さん、ここ行ったねえ。風強くってね。」
母さんはつり橋の写真を見ていた。
母さんは父さんにも写真を見せて懐かしがっていた。
「やっぱり風強かったでしょ?」
強いなんてもんじゃないよ。
その日は暴風雨で風速10m越えてたんだ。
傘させなかったし。
まあ結局、シャボテン公園でうっかり傘ぶっ壊れちゃったけどさ。
防水スプレーしたばっかりだったのに。。。
そんなこんな話をしてた(雑だな、おい)
17:00
母さんと2人で父さんの足をマッサージしてた。
うつろうつろしだす父さん。
6時に夕飯だろ。
それまで寝てなよ。
そういうとすぐに寝入ってしまった。
父さんはすっかり安心しているんだろう。
イビキをかいて寝ていた。
廊下がガチャガチャとうるさくなってきた。
夕飯が来たようだ。
18:00
父さんを起こす。
家から魔法瓶で持ってきた玄米茶をコップに注いだ。
かいでみなよ匂い。
「うん・・・いい香りだ。」
でしょ!いい香りでしょ!
ずっとペットボトルばっかりだったんでしょ。
また持ってきたんだよ。
手元がおぼつかないのでコップをフォローして飲ませてあげた。
ゴクゴクと飲む父さん。
よし、胃を起こすんだ。
運ばれてきた夕飯の介助を買って出た。
嫁さんに教えてもらって練習もしたんだ。
「あれもこれも食べさせちゃうと吐いちゃうから・・・」
心配する気持ちはわかるけどねぇ。
食わなきゃ体力つかないよ。
お粥におかずを少しづつ混ぜて食べさせた。
スプーンに半分くらい取って父さんの口に運んだ。
回数を重ねていっぱい食べられるイメージと自信を与えたかった。
父さんも協力的に食べてくれた。
いつも4クチ程度の食事を4倍以上食べてくれた。
でもトータルでみたら充分とは言えない量。
それでも満足だった。これから徐々に胃を慣らしていけばいい。
いきなりじゃ胃もびっくりするだろうし。
結構食べれたじゃん!
良かったw
今日だけ食べるんじゃなくて続けていこうね。
んで、体力つけよう。
食べなきゃ始まんないよ!
俺も頑張るからさ!
父さんは力強くうなづいてくれた。
18:30
雨だし久々のスクーターだし
ちょっと早めに帰る事にした。
正直久々のスクーターで雨とか夜とか怖かったから。
また明日も来るよ。
これからずーっと来るからよ。
父さんはもう心配しなくていいからさ。
「ありがとう・・・ありがとう・・・」
小さい声で、消えそうな声で。
すげー切なかった。
でも目をじっと合わせてくる。
何かを乞うように。探るように。
俺はいつも通り振舞うという決めた。
だからいつも通りさらっと帰った。
余命1ヶ月は短い。短すぎる。
考える時間がない。
躊躇する間がない。
それでも足りない脳味噌で熟慮を重ね一瞬を大事にするしかない。
一瞬でも父さんを喜ばせよう。
その喜びを幾度も重ねられるようになれば、
父さんの充実に繋がると思うんだ。
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